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憩いの部屋

『一切なりゆき』

ここ最近、ある人に勧められて、樹木希林さんの『一切なりゆき』(文春新書)という本を読んでいます。

今日は、私が、特に、「そうそう」「そうだよなぁ」と感じたところをご紹介しようと思います。

~人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前~(p.24)

これは、私が、東京の事務所を離れて、大阪で弁護士として独り立ちしようと思ったときにも、自分の先行きに対して思ったことでもありました。
ただ、頭でわかっていても、人と比べたり、思い通りにいかなくて焦ったりすることが、完全にないわけではありませんよね。そういったときは、未熟さを実感する瞬間でもあります。

~私に縁のあった人達、皆キラキラしてほしい~(p.26)

これも、私が、日がな願っていることであり、そうはいえども、なかなか実現しきれていないことでもあります。
特に、家族、いまの事務所の全てのメンバー、クライアント、友人などが、キラキラしてほしいなと思っています。
一方で、この本にあるように「自分本位の執着を断ち切って、自分の周りを整理していこう」とは、なかなかならず、こちらも、自分の未熟さを痛感します。

~子供は飾りの材料にしないほうがいい~(p.42)

子供は、自分の飾りを満足させるナニカではありませんよね。
とはいえ、子供の能力などは、得てして他人(他人の子)と比較しがちで、私も、たまに心の中で、同い年で、~~できている子がいるんだなぁ等と思ったりもします。
しかし、よくよく考えると、人間、あまりにもいろんな道がある一方で、そのほとんどが選択することさえできないのです。私の人生を振り返っても、どこをどのように選択したとしても、大相撲で、幕内力士になる道があったとは思えないです(笑)。
結局、子供に、あらゆる可能性を提供することもできませんので、ほどほどに、ということでしょうか。
でも、やっぱり中学受験させようか、とは思ったりします。ここでも、樹木希林さんほど思いきって、「読み書きソロバンができて友達がいればそれでいいや」とまでは思えていないところが小市民です。

~淡々と生きて淡々と死んでいきたいなあ~(p.46)

自分の身体を適切に保ちつつ、ただあたふたせず、淡々と生きて、淡々としんでいきたいなあというのが、樹木希林さんの言葉です。
私も、それほど身体にに無茶をさせるのはよくないなと思います。
いろいろな執着を徐々に取り外せるように心掛けたいと思っています。
とはいえ、たまには(かなり?!)お酒やラーメンを欲してしまいます。

~病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないだろう~(p.120)

樹木希林さんは、がんの治療前後で、生活の質に大きな変化はないそうです。
「一つのものには表と裏があるように、物事には善の面もあれば、悪の面もある」という考えは、ものの見方として、持っておきたいものです。
癌という病気は、少なくとも一部は今も不治の病であり、そのことで本人や家族に大変にショックを与えますが、最近は、必ずしも、悪いことばかりではないなと思うようになりました。
密度の濃い人間関係や時間、「家族会議」、介護や社会保障などの社会問題の縮図、「老いる」とは何か、親子や夫婦とは何か、欲とは何か、身体と精神、こういったものをぎゅっと見つめ直す機会を与えてもらっているような気がします。
ただ、それでも、病がなければと思い至って、寂しい思いをすることは確かですけれども。これもまた、小市民であるがゆえでしょうか。

(文責:森 理俊)

2019年12月06日 16:26|カテゴリー:

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